映画『天気の子』のネタバレ特集第二弾をお届けします。
今回注目したのは同作のラスト、帆高が陽菜に言った最後の言葉について。
陽菜と感動の再会を果たした帆高は「僕たちはきっと大丈夫だ」と言います。
果たしてどういう意味が込められていたのでしょうか。
新海誠監督の過去インタビューから紐解いていましょう。
僕としては、狂った世界でも生きていく根拠のない自信を表しているのだと思います。
※以降は『天気の子』のネタバレが含まれています。予めご了承ください。
『天気の子』の最後をネタバレ/世界より陽菜さんを選んだ主人公
まずは『天気の子』を観ていない方に物語の最後をざっくりとネタバレ解説します。
天気を操れる陽菜には人柱になる宿命を持っていた
自分の居場所を求めて東京にやってきた帆高は新宿で天気を操れる陽菜と出会います。
この不思議なチカラを使って2人は「晴れ」を提供するサービスを始めることに。
しかし、陽菜は能力を使う度に身体が徐々に透明になる現象に襲われていました。
陽菜は自らの命を犠牲にして異常気象を収める人柱の運命を背負っていたことが後に判明します。
物語終盤、帆高の家出や陽菜が弟と2人で生活していることが大人たちにバレ追われる立場に。
辛うじてホテルに逃げ込むことに成功した帆高たちは、いっときの間楽しい時間を過ごします。
が、その日の夜、陽菜の身体はとうとう消え空の世界に旅立ってしまうことに…。
陽菜が人柱となったことで、2ヶ月間雨が降っていた東京には晴れが戻っていました。
物語の最後は帆高が世界より陽菜を選ぶ選択を取る
帆高は警察に連行されますが、陽菜にもう一度会いたいという思いから警察署から逃走。
陽菜が不思議なチカラを手に入れた場所である代々木駅近くの廃墟ビルに向かいます。
ビルに着いた帆高は屋上にあった鳥居をくぐり、陽菜のいる空の世界へとワープ。
陽菜と再会するとそのまま地上の世界まで連れ戻そうとします。
そんな帆高に陽菜は「人柱が居なくなったらまた異常気象が襲ってしまう」と困惑。
しかし、帆高は「陽菜さんと一緒にいたい。天気が狂ってもいい」と力強く答えるのでした。
2人が地上の世界に戻ると東京は再び大雨が見舞われていました。
帆高は保護観察処分となり故郷で高校生活に戻るなど、陽菜とは離れ離れになります。
それから3年後、帆高は進学を機に再び東京に戻りますが、街の風景は激変。
陽菜を救った日から続く雨で東京の大部分が水没していたのです。
再会した須賀からは「世界は元々狂っていた」と言われ、責任を感じることはないと言われます。
陽菜が住んでいた田端駅を降りるとそこには空に祈りごとをしている彼女の姿がありました。
帆高は改めて3年前の決断を振り返ります。
世界の形を変えたのは自分たちで、大勢の幸せより2人で生きていくことを願ったことを。
そして帆高は「陽菜さん、僕たちは大丈夫だ」と言って再会を喜ぶのでした。
『天気の子』ネタバレ/最後の言葉「僕らは大丈夫」の意味
世界の調和と陽菜の2つを天秤にかけたとき、帆高は陽菜を選びました。
その代償として東京はその3分の1が水没したんですよね。ある種、罪を犯したワケです。
そうした中、映画の最後、帆高の「僕らは大丈夫」にはどんな意味があるのでしょうか。
新海誠のインタビューにヒントがありました。
最後の言葉は不安の中でも力強く生きる誓いや若さを表現
インタビュー内容を要約すると、将来の気候への危機感を新海監督は抱いていたようです。
そのため、天気をテーマにした本作を作ることにしたのだとか。
そうした中、インタビューで新海誠監督は以下のように本作のメッセージを説明しています。
そんな世界をつくってしまった僕たち大人には間違いなく責任の一端がある。
でも気象という現象はあまりに大きすぎて、個人としてはどうしても不安感や無力感に右往左往するだけになってしまう。
でも、これからの人生を生きていく若い世代の人たちまで、大人の抱える憂鬱を引き受ける必要はないと思うんです。
異常気象が常態化している世界で生きていく世代には、それを軽やかに乗り越えて向こう側に行ってほしい。
帆高と陽菜のように、力強く走り抜けて行ってほしいという思いを伝えたかったんです。
これを読むと、帆高の言葉には「狂った世界でも生きていける」という意思の現れなのでしょう。
しかも、そこには根拠はなく、“ただ何となくそう思えた”というレベルかもしれません。
インタビューにある「若い世代」と「軽やかに乗り越えてほしい」という言葉がありますからね。
大人たちはもう持っていない若さゆえの根拠のない自信という奴だと思います。
『天気の子』ネタバレ/最後の言葉に共感できない人はオトナ
ちなみに別のインタビューでは新海誠はこの映画は賛否両論を巻き起こすと言っています。
「“すごく大事な人”と“もっと多くの人たちの幸せ”のどちらかを選ぶ時に、わがままな選択をする話だと思うんですね。
『私もそうだよ!』と思っていただける方が『世の中にたくさん居るのかな?』と信じて臨みながら作った映画。
それと同時に『そうは思わない。違うと思う』という方もたくさん居ると思う」と意見がわかれる映画になっていると明かした。
賛否を起こすポイントは主人公・帆高の行動に尽きるでしょう。
とくに最後の言葉は強烈でここで本作に共感する人と共感しない人を分ける気がします。
あれだけ世界を壊したにもかかわらず陽菜との再会を前にして大丈夫という始末。
見方を変えれば、罪の放棄と自己の正当化の象徴的な言葉とも言えるでしょう。
あの言葉を聞いて僕自身は「いや全然大丈夫じゃないだろ!」と思ってしまった側の人間です。
主人公の気持ちは理解できても、決して共感しなかったんですよね。
恐らく僕自身は『天気の子』で描かれた主人公たちに立ちふさがる大人の一人なのでしょう。
社会の調和を乱す選択を良しとしない。社会を否定してまで自分の道を歩むことができない大人。
そのため、映画とは言え帆高の行動に共感できないんだと思いました。
一方で多数の幸せのために陽菜が犠牲になることが良いとは思いませんけどね…。
帆高が最後の言葉には、新海誠が『天気の子』に込めたメッセージが凝縮されているのでしょう。
以上、『天気の子』の最後の言葉についての特集でした。
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