(画像は『検察側の罪人』予告編のスクリーンショット/松倉の変顔、スゴく気持ちわるいwwww)
どうも!アラサーだけと未だに中二病を抱えているムビランです。前回に引き続き『検察側の罪人』特集です。今回は原作小説で描かれた松倉という犯人についてネタバレ解説します。
「腐っている奴は死んだほうが良い」。これは漫画デスノートの主人公・夜神月のセリフ。原作『検察側の罪人』で描かれた犯人・松倉は、この夜神の言葉が思い出される人物でした…。
『検察側の罪人』の原作で描かれた松倉の顛末となぜ夜神の言葉が思い出されたのか、ネタバレ解説していきます。以降は『検察側の罪人』原作の内容を含みますので閲覧は自己責任で!
『検察側の罪人』原作ネタバレ/犯人・松倉の過去と最上の関係
まずは『検察側の罪人』の原作で描かれた犯人・松倉の過去、そして最上との関係性についてネタバレします。実は松倉、23年前に女子中学生を強姦しようとして殺人を犯していました。
ただ、犯人として疑われるものの松倉は黙秘を続け証拠も不十分だったため、不起訴で終わるんです。そして年月が経ち時効が成立してしまう。そんな中、老夫婦殺人事件が発生。
この事件で松倉は再び犯人として警察から疑われます。そして、この事件の担当検事である最上(木村拓哉)の目に、松倉の名前が留まり、松倉と最上の関係が明かされます。
実は23年前に松倉が殺した女子中学生は、最上が大学生時代に住んでいた寮の娘で妹のように可愛がっていた人物。松倉は最上にとって裁きたいけど裁けない仇だったんです。
『検察側の罪人』原作ネタバレ/最上の策略にはまる犯人・松倉…
最上はなんとしてでも松倉を法律で裁きたいと考えます。そして、原作のネタバレになるのですが、最上は松倉を老夫婦殺人事件の犯人に仕立て上げることを決めます。
例えば、松倉が犯人だと思わせる証拠を自ら作ったり、捜査線上で浮かび上がった老夫婦を殺た真犯人も松倉に罪を被せるために殺害します。まさに検察側の罪人って奴ですね…。
最上は検事という立場を使って、松倉を老夫婦殺人事件の犯人に仕立て上げていき、犯人にされた松倉は精神的に追い詰められていきます。
ただ、松倉に対する捜査方針を巡って、最上(木村)と沖野(二宮)の間で対立が発生。沖野が検察を去って松倉の弁護団に入ったことで状況は一変。
沖野は、松倉が起こした23年前の事件に最上が関わっていることを突き止め、最上が老夫婦殺害事件の真犯人を殺したことも明かしていき、松倉は自由の身となるんですよね。
『検察側の罪人』原作ネタバレ/釈放後の犯人・松倉の言動が最悪
『検察側の罪人』の原作を読んでいる途中、自分は不覚にもこの松倉に同情しちゃいました。冤罪の苦しみがなんか伝わってくるんですよね…。
ただですよ!ネタバレになりますが『検察側の罪人』の原作の終盤あたりでみせた松倉の言動がサイアクなんですよ。同情したことを後悔してしまうくらいに…。
例えば、松倉と弁護団らが釈放パーティーをあげているシーン。沖野は弁護団の一人に誘われて会場に行くんですが、そこで松倉は沖野に罵声を浴びせるんですよ。
弁護団の1人が松倉に「彼がいなかったら無罪にできなかったんだ」と仲裁に入っても「こいつは人じゃない」と罵声を続け、終いには沖野を土下座させた上でツバを吐きつけるんです。
また、パーティーのときに弁護団の1人から「自由の身になったけど、まず何やりたい?」という質問に対して、酒でヘロヘロになった松倉は「いい女を抱きたい」って言うんです…。
『検察側の罪人』原作ネタバレ/犯人・松倉の言動をみて思ったこと
23年前に女子中学生を強姦しようとして、抵抗されたら少女を殺した犯人ですよ。そんな松倉が釈放後は良い女抱きたいって…。
『検察側の罪人』の原作を読んでいる途中に松倉に同情してしまった自分が恥ずかしく思いますし、松倉に対してひどく憎悪が湧きました。
ここからは個人的な感想となりますが、『検察側の罪人』の原作を読んで改めて重犯罪者は逝ってしまってよいと思ったんです。
だから、この記事の冒頭で記した「腐っている奴は死んだほうが良い」という漫画デスノートの主人公・夜神月のセリフが思い出されたんすよね。
法律は社会秩序を守るためにあるもの。それは分かります。ただこういう松倉のようなケース、法律で裁けない悪がいたとしたら、それは許してはいけないと思うんです。
まーそれは法律上でゼッタイNGなんですが…。この作品は、正義を問いかけることがテーマだと思うのですが、ムビランとしては最上の行動が正義だと思っています。
ある種、法律を超越したゼッタイ正義という奴ですかね。私利私欲のために人の命を奪う奴は更生させる必要はない。
なぜそんな人間になってしまったのか、そのプロセスを分析して同じような人間が生み出さないような社会作りの参考になったら即死刑で良いと思っています。
他のサイトで『検察側の罪人』のレビューを見ると、ムビランとは違い最上の行動に懐疑的な考えを持つ方もいました。「正義はいろいろある」ということなんですね…。
アナタとしては、最上と沖野、どちらの行動がアナタの考える正義に近かったですか?
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